ごあいさつ・サンクロンと三星舎の歴史

ごあいさつ

平素、医薬品サンクロンをご愛顧いただき、まことにありがとうございます。

弊社は、サンクロンを専門に扱う医薬品卸業「九州サンクロン株式会社」として昭和41年に福岡県で創業しました。

創業者の調 盾子(しらべ たてこ)は、医薬品サンクロンの開発者である(故)金子卯時雨(かねこ うじう) 医学博士の妹です。盾子は、兄・卯時雨とともに「創健ーー健康は自ら創るものである」という健康哲学を掲げ、各地で講演活動を行い、サンクロンの普及に務めました。健やかな生活を追い求めるその意志は、「創健 即ち 創己 即ち 創社会」という社是に表現され、半世紀を過ぎた今も変わることなく弊社に息づいています。

弊社は、令和2年3月に社名を現在の「株式会社三星舎」に改めました。医薬品サンクロンの取扱だけでなく、良質な食品の販売、鍼灸院(「創健鍼灸院」)の運営を通じ、皆様ひとり一人の生活に寄り添い、「創健」のお手伝いをしたいと願っております。

株式会社 三星舎 代表取締役 調 香生子

医薬品サンクロン 創製の原点

旧九州帝大、農学部農芸化学科出身の金子卯時雨医博は、旧軍の糧秣廠(りょうまつしょう)に召集されて、前線に赴く兵隊の携帯食の研究・開発に携わっておりました。

ここで与えられた課題は、植物成分を配合するのではなく、細胞原形質そのものを携帯食とする研究でした。研究途中で終戦となりましたが、信州高山に自生する隈笹を材料に戦後も研究を続け、1947年頃、目的とする隈笹細胞原形質を溶液として取り出し、瓶詰めに成功。目的のものが完成しました。

そして1954年、時の厚生省より医薬品「サンクロン」として承認を受けました。1966年には医薬品「サンクロン軟膏」も同じく承認を得ております。

サンクロンは、平成7年まで保険適用薬でした。現在は第三類医薬品です。

隈笹細胞の原形質液は、前線に赴く兵隊の戦場での非常食を目的としたものでしたが、戦後に医薬品の承認を受けたサンクロンの本質は単に植物成分の補いではなく、病気になったすべての人の基礎薬であると同時に創健薬だと考えています。

九州サンクロンと三星舎の歩み 

九州サンクロンでは、サンクロンを販売すると共にその創造の原点でもある「創健〜健康は自ら作るものである〜」という考え方を常に大事にしてきました。

創業者の調盾子は、医師の家に嫁ぎ、自らも助産師の資格を取りました。入院患者さんや家族の健康管理を通して、健やかに暮らすための生活の知恵を、医学と結びつけながら体験的に深めていきました。各地で開催された「創健会」では、兄 金子 卵時雨と、2代目 了堂と共に創健生活の在り方を普及し、薬局様と共に商品の先にある人々の健康を願って相談を受けてきました。

調医院の前での家族写真、助産師を目指して勉強中の頃

80歳になった盾子は了堂と共に、福岡ライブリー学院という小さな学舎を開き、家庭料理、生きるために必要な解剖生理学、家事、育児、住まい環境づくりまで幅広く伝える講座を持ち、3000人を超える受講生を迎えました。95歳でその生涯を閉じるまで、多くの言葉を残してくれました。

三星舎は、盾子亡き後、祖母の大切にしていた食のあり方「創健食」の調味料を改めて見つめ直すことをコンセプトに、2014年に立ち上げました。その後、2020年に「健康づくりのお手伝い」を基盤とした会社づくりのため事業を統合し、社名を変更いたしました。屋号の三星舎は、盾子の愛用した印(裏家紋)から名付けました。いつも縁の下の力持ちで、強く優しく生き抜いたその精神を今後も大切に受け継いで行きたいと思っております。

創健とは、

生まれてきた環境は人それぞれです。持って生まれた体もまた、人それぞれです。
それを丸ごと受け入れて、どう健やかに生きるか。
「創健」とは、「健康は自らつくるものである」という金子卯時雨の造語です。

人々が自らの生活習慣や環境の中で、健やかに過ごすための身体創りを見つめ直す限り、創健の考えはより奥深いものになると考えています。

金子卯時雨医博は、人の「活きていることが成り立つ条件」を、7つの条件として考えました。

医学博士 金子 卯時雨(1903〜1994)
「健康は自ずから創るものである」創健